薄い唇から零れた言葉に、狂乱する男はどこか冷えた頭の一角で絶望しながらただ我武者羅に何度も何度も頷いた。

 

君はやっぱり、僕を見なくなったままでいなくなってしまった。

 

ああ。

私の神の託宣ならば、それがどのような責め苦を負うものであろうと茨の道を歩もう。

 

10. いっそ泣こうか。 泣いて全部

   忘れてしまおうか 許されぬまま

 

けたたましく扉を破り広間に侵入を果たした男に、間を見下ろす玉座の周囲に侍っていた兵は一斉に身構え尊い命を守ろうと、常ならば遮る事を許されない皇帝の視界を阻み、男の前に立ちはだかった。脇に控えていた文官の幾人かは兵に混ざり、幾人かは背後へと逃げ去り、扉の両脇を守っていた兵士達はじりじりと輪を狭め、隙を窺いながら男に切りかかろうとしている。

男はそれらが視界に入っているだろうに歯牙にもかけず、この国の長を見据えただ真直ぐに進んでゆく

。それは正式な手順を踏み謁見を許された者さながらの堂々とした態度で。

その痩せこけた身体に着いた足の踵が床と出合う事に生み出される靴音は高く反響し、その度に瀑布の音が小さく小さくなっていく。

黒い衣服を身に纏った男の顔は、所々なにかを擦ったかのように赤茶けた色が付着している。男の後に続く者が居れば、男が見動く度にパラパラと零れ落ちる同色の薄い塊や粉に気付き、それが水分を失った乾いた血の残骸だと知っただろう。遠目には黒と見える袖口のシャツもシャツは血を吸って変色しているのだ。

どこか荘厳ですらあるその男の異様な雰囲気に呑まれ、一定の距離より誰一人として近付く事が出来ない。

やがて男を囲みながら後退さってきた兵と、皇帝の前に立ち塞がっていた兵は合流した。

流石にこれ以上は踏み込ませぬと気構えた彼等を後押しするように、破られ開け放たれた扉からも兵士の小隊が駆け込んでくる。それは一小隊ではすまず、後から後から蟻のように湧き出し、男の周囲と玉座を頂く壇上を除いて謁見の間を埋めてしまった。

当然だ。

此処はマルクトの首都。光生む皇帝の坐す宮処。最高基準の力を備える兵の集いし最後の砦なのだから。

水清き都を治めし偉大なる皇帝に仇す者など塵と残らず消えうせよう。

兵達の最後に青い群れを掻き分けるようにして姿を現した初老の指揮官が、号令一過不届き者を屠ろうと剣を抜き放った。

だが、男は今にも弾けそうな激しさを抱いたまま、ぎらぎらとした目で君主を見据えている。自身を囲む者など、見る価値すらもないとその様が語っている。

それほどの自信、何処から来るのか。

否、自信ではない。

ただ視界に入っていないだけ。気を取られるだけの余裕が無いだけだった。

なぜなら男はこの激情に、絶望に、憤怒に。押しつぶされないようにするだけで精一杯だから。

その燃え盛る命を摘み取ろうと、剣が振り下ろされようとした瞬間、深く落ち着いた声音が穏かに空間を打ち据えた。

「いい、下がれ」

それを止めたのは誰あろう、彼らが命を差し出し守ろうとしている主君の命令だった。

「陛下!!」

弾かれたように顔を上げた剣を掲げた指揮官より信じられないといった視線を向けられた皇帝もまた、男と同じように、男にのみその目をそそぎ、身じろぎたりとてしない。

それは、男がこの広間に姿を見せたときから。

「随分な登場の仕方だな、サフィール?」

揶揄うような踊る声の抑揚に対し、何処までも剛く冷え冷えと陽炎のような熱気のこもった目線に、指揮官は進言は無用と知りがくりと腕を下ろし、乾いた血に塗れた男は、機械のように平坦に声を零した。

「ジェイドが死にました」

ざわりと、空気が揺らめいた。

詰め掛けた兵はあの畏怖の象徴たる死霊使いの死に、絶対とも思われたマルクトの象徴(そう、紛れも無く、あの人物は旗印になりえた。死霊使いが居るからこそ、この戦は負けぬ、死なぬのだと)の失墜への動揺に浮き足立ち、皇帝との関係を知る指揮官や重臣たちはその報への疑惑と波立つであろう主君の感情への不安と、組み変わるだろう政の陣営に策謀を廻らせる。彼の存在は軍内だけでなく、議会においても多大な影響を及ぼしていた。

死霊使いがどれほど影で皇帝を支えていたか。あの者が居たからこそ立ち消えた反逆の狼煙が、声に出せずにいた皇帝の政策への反発がどれほどの数存在するか。

その死の報は、グランコクマを揺らすには十分過ぎる。

過去一度の、あのアクゼリュスの事件の時のように、皇帝がどれほど危険な立場に立たされるか。

息詰めて、その場に立つ者は至尊の君の言葉を待った。

「そうか」

だが、なによりもその言葉を否定するであろう皇帝は――ピオニーはすんなりとそれを受け入れた。

手摺に肘を置いて頬杖をつき、常のように尊大に構えて臣下の死の報に皇帝は、幼少を共に過ごした男の青白い顔を見下ろして、もう少し健康的な感じだったが、数日前に触れたあいつの肌も白かったな、と他愛も無い事に思考を馳せた。そして、ほんの数日前の事だと言うのに既に過去として捉えている己に気付いて苦く笑った。

サフィールが、偽りでもジェイドの死を口にするはずが無いのだ。

ことあの男の――ジェイドについての事ならば、この眼下にいる男ほど正しい言葉を発する者はいないとピオニーは思い知っている。負けるとは思わないが、己ですら太刀打ちできぬ部分があることをも理解している。

だから、それがサフィールの言葉ならば、何よりも正しいのだ。

虚偽など混じりようが無く、その身体を染める血は、ジェイドの物なのだろう。

思考して、ピオニーは一旦身体を起こし、顔を支えていた手をもう片方と組み合わせ、肘を両脇の肘掛に引っ掛けてだらしなく玉座に沈むように身体を埋めた。

「それで?お前は何をしに来た?」

まさか、ジェイドの死を知らせるために来たわけじゃないだろう?と薄く笑ってさえ見せる、そうとしかあれない傲慢で哀れな男に、サフィールは躊躇い無く膝を折り、眼前に跪いて頭を垂れた。

「大地と水に祝福されしマルクトを治めし偉大なる皇帝陛下。この命果てるまでの恒久であり瞬きにすぎぬ忠誠をお受け取りください」

淀みなく咏み上げられた、ピオニーへとくだると公明する宣誓に、そう来るだろうとわかっていた皇帝は眉一つ動かさずに静謐を保つ。

サフィールのいる場所で死んだなら、ジェイドがそれをしないはずが無い。

自分の代わりの駒も用意せずに早々死ぬような男でもなければ、同等の働きをするであろう駒がすぐ傍にあるのに見過ごすような優しい男でも無い。

泣きじゃくる信望者に向かって、他の存在を頂くようにという、最も残酷な言葉を吐いただろう。

そう告げられた男は今、どんな顔をしているだろう。

入ってきた時のように、泣くのを堪えるような顔をしているのだろうか。

ピオニーは、それすらも失っている。

どんな感情の波も、本当には表に出すことは許されない。ふりならば、幾らでも許されるのに。

だから、もう忘れてしまった。

赤い瞳の男が居なければ、ピオニーは人ではいられない。

「ジェイドの望みか?」

「ええ。そうですよ」

床を見据えたままの格好で撃てば響くように帰ってきた答えに、やはりとしか皇帝は笑えない。

自身を盲目的に愛するこの男を、本当は憎からず思っていたくせに、そんな素振りは微塵も見せなかったはずだ。

ピオニーが、その選択肢を捨てさせた。

酷い事をして、させて、離れていくサフィールを見送った。

二人で。

「あいつはどうした」

この答えも、わかっている。

それでも確かめたいのは、ピオニーに未練があるからだ。

あれを最後まで、自分の物にして置きたいという、未練が。

「貰いましたよ、わたしが。それくらい、構わないでしょう」

俯いたままの灰色の頭髪が、ゆっくりと揺れて顔が上げられた。

丸い眼鏡の置くの瞳が、乾いて、真っ赤に充血しているのが見て取れる。その目元も大きく腫れ、涙の伝った後さえ垣間見える。(なぜならその道筋の血は流れて肌が覗いているのだから!)

「ピオニーは、ジェイドの全部を僕から奪ったんだから、心の無い屍くらい、僕が貰うんだ」

傷ついた幼子のように言い募る男に、本当はそんな事はないと言ってやろうかと一瞬考えて、ピオニーはすぐさま思い直す。ジェイドの心の一部を持っていて、罪すらも共に背負い、その亡骸まで手に入れた男に、なにを言ってやる必要があるのか。

ピオニーが手に入れたものは、心の何割かと、一瞬の身体の快楽と、共有したあまりにも短すぎる時間だけだ。

今睨みつけてくる男と大差ないものしか、手に入れていないのだ。

「それで、ピオニーは僕を臣下として迎えるの、迎えないの」

「そうだな。お前の譜業も、音機関も役に立つだろうな」

「じゃあ、僕の忠誠を受けるんだよね」

「到底安心は出来そうに無いな。背後から刺されそうな忠誠だ」

お互いに、なにかを底へ底へ押し込めたように、固く張り詰めて会話を続ける。

堪えているのだ。

叫びだしたいこの衝動を。

泣き喚いて、何もかもをも薙ぎ倒し、破壊しつくしたいこの嘆きを。

ピオニーよりもサフィールの方がまだましだろう。

男は、死に逝く最愛の存在に縋って思うさま懇願した。その亡骸にすがって声を上げた。

ピオニーにはそれすらも出来なかった。

これからも、出来ない。

許されない。

その激情を受け止めるべき唯一つの魂は去ってしまった。

もう、永久に帰ってはこない。

「ピオニーなんて大っ嫌いだ。でも、ジェイドがそう望んだから…僕は、ピオニーを助けるんだ」

そう言って、再び頭を垂れた大切な幼馴染であり、恋敵であった、今臣下になろうとしている男を見下ろして、ピオニーは瞑目する。

死霊使いを失って、死神を手に入れる。

それが、あの男が最後に差し出した皇帝が生きるための代わりの武器。

そんな物、いらないのだと言って投げ捨ててやりたくとも、それが出来ない己をピオニーは嗤う。

孤独な玉座に坐す男の、閉ざされた瞼がゆっくり開かれた。

 

「――――――許す」

 

一瞬にも、永遠にも等しい沈黙の後、皇帝は死霊使いが導いた死神の差し出す命を受け取った。

 

 

 

第一作目がこれって…

ジェイド死亡話

死に際にディストに陛下を守るよう言ってこと切れる

逆らえないディストは今後陛下のために命の限りつくすのです

でもってキャラが掴めない・・・ディストってむずかしー(それ以前にED見ないまま書くなよ)

萌だけで突っ走るとろくなこと有りませんねー

02/19/2006